あなたは愛されている。

すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげよう

私の証し①(~以前の自分)

私のことをかんたんにお話します。

 

幼少期は、今で言えば

父親から虐待のようなものを受けました。当時はまだそんな言葉もなかったですが

大きくて力強い存在に、暴力と脅迫、ただ怯えて、震えているしかありませんでした。

子供なのでなぜこんな目にあっているのか理解はできませんでした、ただ

「自分は存在しちゃいけないんだ。なぜ生まれてきんだ」と自分を呪いました。

 

そのときから強烈な恐れや不安・緊張、パニックに襲われ、そのときの震える感覚が、ずっと大人になっても対人の場面で襲ってきていました。 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

いわゆる対人恐怖(神経症~今は社会不安障害ですが)、

考え方や意思の問題というより、フラッシュバックのような感覚に支配されていて、自分の力ではどうしようもなかったんです。

レジで買い物するの一つとっても、お釣りを受け取る時に、受け取るのを失敗したらどうしよう、変に思われてるんじゃないか、挙動不審に見えてたらどうしよう、緊張と恐れ・不安、悲しみに支配されていました。

外を歩くのも人目が気になり、帽子を被り、昼は人目を避け、夜暗くなってから外出したり。

男性トイレでは、後ろに並ばれるとプレッシャーで小便が出ませんでした。

人に見られていると頭が真っ白になったり、緊張で手が震えたりなど...

 

普通の人には意味がわからないかもしれません。私にも理解不能です。恐れる必要などない。攻撃されることもない。でも心の底から人を信頼できなかったんでしょう。理性や心理学では心・感情を支配できませんでした

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

それから母親については、

私が父に虐待されていたときに、助けてくれなかったことをずっと恨んでいました。

「この人は私に無関心で、自分のことだけを考えている。」そう思っていました。

彼女に愛されていると感じたことがありませんでした。

大人になっても、会うとなぜかすごく落ち込み、暗くて重い気持ちになりました。

愛されたいという強い思い、悲しみ、憎しみがずっと消えませんでした。

母に何か頼まれる度に、「利用されている」と思い、怒りと縁を切りたい衝動に駆られました。また会話の節々で私の存在を否定されているように感じ、早く死ねば良いのにと思いました。(中学の時は逆上した父をどうやって殺すかシュミレーションしていたので、ひどい子でしたね)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

これらの思いが自分を形成してきたと思います

(実際に両親がどう思っていたかはわかりませんが、私の内側の問題として、)

ずっと自分に聞こえてきたメッセージは、

『お前には価値がない。誰にも愛されていない。人は恐い。』

 

人に傷つくことを恐れ、いつも独りでいるのが唯一の安息で、

いつまでたっても誰とも心から信頼できる関係を築けませんでした。

そんな人生でした

 

 

 

そして私が受けとったのは

神の言葉、

 

イザヤ書43:4~
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
ー恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。』

 

 

今、私は

神に愛されているという真理に生きています。

自分の記憶・経験から来る思いよりも、神のことばを採用しました。

私は被害者意識を捨て、問題の一部となっていたことをやめました。

 

神の愛によって罪を赦された私は

両親を赦し、

愛されることだけを考えていた自分が、今は、人を愛したいという思いに変えられてきています

 

また人を恐れてしまうようなときでも、心の深いところでは神とともにいる平安があります。

 

もちろん急にではありませんし

忍耐や訓練もあります。

でも

いつもともにいてくださり

愛してくれて、私の重荷を負ってくださる主によって

心強くいられます