信仰を持って7年半過ぎました
2017年6月に(34歳)でキリストを信じてから、満7年半~(42歳)が過ぎました。
信じてからも、思考中心で信仰を理解しようと格闘して来ました。
その中で、世の知識や、世のものに関心が行って
クリスチャンとは言っても、肉の生活を送っていました。
特に、一定期間は断てても、ポルノを見ることはやめれず、暗闇の中を歩きながら姦淫の罪を犯し続け、肉を喜ばせてきました。
心においては苦しみが、暗く重い悲しみの感情がずっとありました。
さらに、クリスチャンではあり得ないようなことですが、富に仕え、ギャンブル的な投機で失敗し、借金するという、自分にとっては大きな罪も犯し、、、
果たしてほんとうに、自分には信仰があったのか?を吟味し直しました。
信仰の先輩方である、アンドリュー・マーレー氏、C. H. マッキントシ氏、H・A・アイアンサイド氏、などの信仰書を参照しながら、真の信仰とは何かを自分の生き方、生活に問い直しました。
生活そのものから、この世の楽しみであるもの、エンタメを追い続けてきたことも、軽く考えていましたが、今はやめて、整理し、捨てています。
最近、あるyoutubeの動画で気づかされたのは、
自分が「信じるだけ、」で救われる安堵感の中に埋没していたこと、
福音の三要素だけを受け入れて、
聖書全体で語られているそのほかの勧告のことばを無視していたこと。。
聖書の一部だけを都合よく受けとるだけでなく、
みことばのすべてが正しく、すべてを受け入れる必要があること。
ただし、聖い歩み、愛の歩みは、決して律法主義ではできないことです。
聖霊さまと、みことば、祈りとによって。。
実生活に、実のある、主とつながっている、確かな歩みをしたいと願っています。
世に染まっていながら、信仰者とはなれない。二つのものには仕えることはできない。
世から離れ、知識だけの神学ではなく、
心を神さまに向けて、神さまに立ち返りたいです。
ヨハネの黙示録 3章19-20
すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
ここしばらく教会には行ってませんでしたが、最近、
ロゴスミニストリー東京のサイトで、チャックスミス氏の本を読みました。
教会について。信仰も大事だが、信仰だけでなく、
信仰の上に愛を置くこと、愛のための信仰ということを一番大事にして、
兄弟姉妹との交わりも求め、神さまの愛によって歩んでいきたいです。