あなたは愛されている。

すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげよう

この福音の愚かさ

福音=救いの知らせ(good news)です

 

日本では「神」ってだけで、もう敬遠されてしまいますが、

聖書では、そのことも言及しています

 

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コリント人への手紙第一1:18

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」

ローマ人への手紙1:16

「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、

救いを得させる神の力です。」

 

この話は、

ある人にとっては愚かなことです。この世の価値観で生きている人にとっては普通の反応で、常識的だと言えます。しかしその人は滅びに至ると書かれています。

しかし

救いを受ける人にとっては、神のことばそのものにその人を救う力があるので、もはや私たちの力ではないのです。

 

私たちの力でどう理解するか考えて、受け入れるのではなくて

神の側から人へ、一方的に働きかける超自然的な力なのです。 

 

 

またこうも書かれています

 

コリント人への手紙第一2:14

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。

それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。

なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」

 

人間の頭や知識だけに寄って立つ、この世の人には到底受け入れられない話であり、理解できないものなのです。

説明してわかってもらおうとする類のものではないんですね。

聖霊=神の力によってわかるものです。

 

さらに

 

ローマ人への手紙1:17

なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、

その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。

「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

 

ただ福音を聞いただけで、もう自動的に救いの道へ入らされてしまいます。

納得しなくても、説明できなくても、ただ神からの恵みで、信仰へと導かれてしまう。

すべて、目に見えない神の力が働いているのです。

 

 

コリント人への手紙第一1:21

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。

それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、

信じる者を救おうと定められたのです。

 

この世の知識や自分の頭によっては神を知ることはできないのです。

それははじめから神が、福音をあえてそういう「愚か」と思われる方法で人に知らされようと計画されていたからです。

 

コリント人への手紙第一1:27~

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、

強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。

すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

 

神様は知恵のある強い者を、その知恵によって誇らせないために、この救いを到底受け入れられないように、知的な方法にしませんでした。

この世的に愚かに思われる形を通して、弱い者、取るに足らない、見下されている者を救うためです。

 

コリント人への手紙第一2:7

私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、

それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

 

 

福音が、この信仰が、

世間一般の人々に愚かに思われることの完璧な理由・説明がなされています。 

 

 

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おもしろいのは、宗教だったら、自分達の教理の正しさを一生懸命、証明すようとするところなのに、理解できない人にはできないと割り切っている。

理解できない人を説得させて、入信させるような、人間の方法じゃないと言っているところが、聖書の神性の信頼性・誠実さだと思います