神の存在について
神という存在ですが
現代の世間一般では
神を語るたくさんの宗教団体や個人によって、悪いイメージばかりですが
大きく広い意味でざっくり捉えると、
「人間が理解できない、この世界や生命に働くなにかしらの超常的な力」
とまとめてしまえるのではないでしょうか
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・まず神はいない、という人。無神論。物質のみ信じる人。がいます
ある意味、「神はいない」という信仰です。科学が神です。あるいは自分の知覚だけが信じられる信仰の対象です。知覚できないものはわからないものとします。疑問を持っても答えなんてないというスタンスです。この世の物、生活、人生にある程度割り切って考えれる人たちだと思います。
・あとは、神はいるかもしれない―人間の力を超えた超常的な存在を神とする人。
農作物が育つ自然の営みや、自然災害のような大きな力。自然崇拝、土着信仰。またはそれらを神の裁きとして恐れ、畏敬の念で拝む神様。日本の神道のイメージはそんな感じかな?
・自然だけでなく人間も自然の一部であり、人も神であり力を持つ、とするのがニューエージやスピリチュアルですね。
人の思考の力・引き寄せのパワーを信じたり、また占いや、霊視の不思議、ヨガ、瞑想などの神秘体験を求めたり。思考や煩悩を操って自分の力で救いを得ようとするのは仏教的でもありますね。宇宙存在や霊的ガイド、オカルト。等々多岐に渡ります
それらに対して、
キリストの神は
唯一の神であり、すべてを造られた創造主であり、
人格を持っておられ、神は愛であり、人間を愛している方、
良いお方であり、すべてを益としてくださる方。
聖であり、義であり、また正しいがゆえに裁かざるを得ない、恐れるべき方。
ことばであり、霊であり、目には見えない存在、人間には計り知れない存在
…and more
と聖書には書かれています
ローマ人への手紙1:18~
というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。
それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
神の存在は、言葉で「ほんとにいるんだよ」と説明されなくても、
実はすでに被造物である人間には啓示されていると書かれています。
神の創造されたもの―自然や、生物、命、営みによって、神の神性がはっきりと現れているし、言い訳できないんだよ!とまで言っています。
ローマ人への手紙1:21~
というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。
造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
私たちの病んだ心や鬱々とした思いは、神にそむいて、罪に生きていることの裁きなんですね。
神は、人が自らの罪に気づいて悔い改め、神のもとに立ち返ることを望んでおられます。
その苦しみから救われるようにと、私たちを招いておられます